ビバ他者交流
こんにちは
このブログを始めてすぐに飽き、あっという間に1年が経過してしまった。
時の流れは年々早まっていくよね、なんて擦られまくったお話をしたい訳ではなく、
当初のとおりに今回も思いついたことを書いていく。
あらためて、これまで投稿した文章を読んでみると昨年の私は日常的に人と関わらなさすぎて生活に飽いていたんだなと感じる。
当時はゼミにも友人がいなかったし、バイトもしていなかったので人との関わりというと、1週間に1度の授業で隣に座る友人とのわずかな交流だけだった。
基本的に一人で過ごすこと(猫がいればなお良し)が好きだと自負しているけど、さすがにずっと人と関わらないと自分を保てなくなるんだと思う。他人と自分を相対化して自分という存在を形作る…みたいなことでもあるし、単純に他人の考え方とか感じ方とかの「自分には持ち合わせていない要素」を吸収することもハリのある生活をおくっていくためには必要なんだろうな。
つまり、「一人で過ごすことが好きである人間≠他人と関わりたくない人間」であるということ。
何なら、他人との交流で何かを得ようとしてエネルギーをつぎ込みすぎる特性があるために、一人でゆっくり過ごしてエネルギーを回復しようとしているかもしれない。
そう考えたら、私みたいなタイプの人間はむしろ他人との関わりをそこらの人間よりも重視しているのかも。
昨日付けで約半年間続けたバイトをやめ、また人との交流の場が1つ減ってしまったけれど、できる限り人と関わることを諦めず、自分を肉付けしてこれから来る夏を生き延びていきたいと思っている。
どうか、よろしく。
カラフルなハッピー野郎
梅雨前のような湿っぽい風が吹く昼下がり、いかがお過ごしでしょうか。
私は気圧の影響を受けにくい体質で、なぜか雷や台風の日なんかにはテンションが上がる子どもっぽい質である。現にこの文章を書いている今は昨日よりちょっとテンションが高め。
日頃から写真を撮る習慣がないのでお見せすることができないんだけれど、今日はお昼に大学構内にあるセブンティーンアイスを食べた。カラフルチョコ<ミルク>といういかにもハッピー野郎な見た目をした美味しいアイス。いつもだったら抹茶とかを選ぶけど先述した通り今日はテンション高めだったので見た目がカラフルなアイツを即決し、今後コイツを選ぶ可能性は低いだろうなとか思いながら食べた。友達になるならどのアイスがいいかなんて話をいつか君たちとしたいな。
最近、といっても数か月前にInstagramを入れてみた。そしたらいとも簡単に小・中・高校時代の同級生たちのキラキラした日常の一部分が目に入ってしまい大変落ち込んだ。意識せずとも自分の生活と照らし合わせてしまってそれはもう落ち込んだ。これがSNSの弊害だよなぁなんて思いながら、いまだアプリをアンインストールできずにいるのにも浅ましさを感じるってわけ。
かといって自分があのキラキラした日常を無理におくることはない。一人でどこまでも行けるようなフットワークの軽さを手に入れることを目標に、せめてここでは飾らない私の感覚そのままの言葉を綴っていきたい。どうかよろしくね。
ぼっちに汎用性はあるか
最近いろいろと考えることが多くて整理をつけたい、そんな風に思ったのでメモ帳代わりにここにつらつらと言葉を書き連ねていきたい所存。
どうせ知人に見られることがないと思っているのでぶっちゃけるが、最近「友人」というキーワードで悩むことが多い。そんなんぶっちゃけたの内に入らんでしょと思われるかもだけど、今現在の悩みの多くを占めているんだから許してほしい。具体的な悩みは言わずもがななので割愛。
SNS、とりわけTwitterをパトロールしていると「ぼっち」だとか「陰キャ」だとかを自称している人は意外と多い。もしかしたら私のアンテナがそっち方面に張りすぎている可能性もあるけど、よく観察していると「ぼっち」を自称している人が友人と出かけた写真なんかをドカドカアップしていることが往々にしてある。そんなときに思うのは、
「お前がぼっちを名乗るなよ。」
実際にぼっちな人の多くは私と同じような感想を抱くのではなかろうか。頼む、私だけではないと言ってほしい。しかし、私とて嫉妬でジリジリとするばかりではない。「ぼっち」を自称する彼らが実際に「ぼっち」ではなかったことに怒りを覚える段階は過ぎ、最近は「ぼっち」を自称するエセ「ぼっち」な人はどんな意図で自身を「ぼっち」と評し公開しているのかということが気になっている。だんだん「ぼっち」がゲシュタルト崩壊してきたな。
この問題はもしかしたら「オタク」を自称する人が増えたことなんかにも通ずるものがあるのかもしれないし、この先を考えるとすると本腰をいれて調べる必要が出てきそうなので、この場で自身の考えを述べることは控えようと思う。決して逃げたわけじゃないよ。
ここで言いたいのは、こんなことをきっちりした根拠なしに思いつきだけでたらたらと喋れるような関係の友人が欲しいってこと。私だっていつまでも「ぼっち」でいたい訳じゃない。だからこそエセ「ぼっち」人が「ぼっち」を自称する理由を知りたい。「ぼっち」に何かブランド力みたいなものがあるんであればぜひ教えてほしい、参考にさせてもらうから。